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共感と共鳴、百歩譲って意味一緒。

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小学校受験の願書のお客様から、

「お受験の塾の添削が入ったんです。見てください」

とのご連絡。

 
まあ毎度のことながら、塾の担当者のその時の気分で手を入れていただいているなあと思った次第ですが、「たぶんこの人分かっていないな」と思った良い事例を一つ取り上げたいと思います。

 
学校の教育の考え方に感銘を受けたという趣旨で、「御校のお考えに、私どもは共鳴致しました」という文言があり、それを塾の担当者は「共鳴」を「共感」に変え、「御校のお考えに、私どもは共感致しました」としていました。

この記事をお読みの、それも小学校受験を親として経験されている感の良い方ならお気づきだと思います。

共感より共鳴のほうが選択としては正しいんですよ。

意味を見てみますと、

共感とは、

他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。
引用元:goo辞書

という意味です。

なんとなく、共感を使うと学校と同目線に感じませんか?

平たく言えば、「そうそう、私たちも御校と一緒のことを思ってるんですよ」という、同じ目線です。

間違いではありませんが、学校と目線が一緒というのもあまり収まりがよくないと思った当社は、共鳴を使ったわけです。

 
共鳴とは、

他人の考えや行動などに心から同感すること。
引用元:goo辞書

 
これだけを見ると、共感と一緒ですよね。

でももう一つ意味がありまして、

振動体が、その固有振動数に等しい外部振動の刺激を受けると、振幅が増大する現象。振動数の等しい二つの音叉 (おんさ) の一方を鳴らせば、他方も激しく鳴りはじめるなど。
引用元:goo辞書

 
これは物質の現象のお話で、1つの音叉を鳴らす(学校の教育方針に触れる)ことで、もう1つの音叉も鳴り始める(親も鳴り始める)という意味です。

つまり、学校ありきで、その音の仲間に入るかのように自身も音を鳴らすということです。

共感よりも共鳴のほうが、目線が学校よりも下(学校ありき)になり丁寧ですので、当社は共鳴を選択したわけです。

 
「まあそこまで意味をとらえなくてもいいんじゃないの?」と言われればそれまでですが、こちらは原稿作成の面でお客様のご助力をさせていただいていますので、そこまでしようとするわけです。

私が、塾の担当者はこのことを理解したうえでのことだったら、変えなかったんじゃないかと思うわけです。

また、百歩譲って共感と共鳴がまったく同じ意味だとすると、じゃあなんで共鳴を共感に変えたのかという疑問が残ります。

「難しい言葉を使うと学校の方に読んでもらえない」という理由付けをしたいのだとすると、それ、裏取れんやろ、と思いますし、そもそも共鳴と共感に言葉の難しさの違いはないように見えますし、真面目に反応するとこういうところですが、まあしかし、深く考えずになんとなく変えてみたということなのかなと思います。

塾の担当者も、仕事柄、「いいかどうか分からない」とは言えないのかもしれませんね。

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